巡礼のはじめは、京都の中心といわれ、多くの逸話が残る六角堂です。
正式名は、「紫雲山頂法寺」ですが、お堂の形が六角形であることから、六角堂と呼ばれています。
六角堂の歴史は古く、平安京に都が遷る200年前の587年「飛鳥時代」まで遡ります。建立は法隆寺を建てる20年前、13歳の聖徳太子です。
京都全域が破壊的な被害を受け荒廃した「応仁の乱」でも六角堂は火災から免れ、下京の自治の拠点として機能しました。飢饉には炊き出しを行い、復興へと導きました。その後18回もの火災に見舞われますが、その都度再建され、現在建っている六角堂は明治時代に再建された建物です。
生け花発祥の地としても有名な六角堂ですが、仏前に花をたむける習慣は、聖徳太子が小野妹子に命じたことから始まります。代々住職が務め、室町時代に池坊専慶、専応と立て続けに名手が現れ、生け花の文化が始まり、現在に至ります。また池坊家は、小野妹子の子孫だといわれています。
また、逸話も多く残っています。
親鸞聖人が比叡山延暦寺から六角堂まで百日参籠を行い、95日目に観音菩薩から「法然のもとへ行け」とお告げを得て、浄土真宗を開くきっかけとなります。
建立の話も大変興味深い話が残っています。元々池があったこの地に聖徳太子が訪れた際、念持仏が、この地から動かなくなり「この地にとどまり、人々を救いたい」と太子に告げたため、六角形のお堂を建て安置したと伝わります。
都が京都に遷った際には、長安にならい方位に合わせて道を碁盤の目に設計されましたが、不運なことに六角堂の真上に新しい道が通ることになってしまいます。設計者の役人が取り壊しを命じに来た際、六角堂の上空に黒い雲が立ち込め、たちまち六角堂を包み込み、北に移動した。との逸話が残されています。現在も本来お堂と同じ敷地にある鐘楼は、六角道りを挟んで南にありますので、逸話の面影がうかがえます。
現在、祇園祭の「くじ取り式」は市役所で行われていますが、江戸時代までは、六角堂で行われていました。
京都の町民の歴史「六角堂」へ、ぜひ、お参りに行かれてみてください。
近くには、飲食店などに改装されている文化財登録された美しい町屋もあり、楽しめます。








