地下庭から地上を見上げる
横内事務所の岩倉のアトリエで、建築写真家の小川重雄さんによるスライドレクチャーが行われました。
学生時代の作品から発表前の作品まで、写真を通して、一人の写真家の人生を見るような、大変貴重な機会となりました。
今は写真もデジタルが主流の時代ですが、小川さんの学生時代のアナログ写真は、「情熱の塊」のようにアグレッシブで、「シャッターを押す」という行為自体に、自分の命を映し出しているようでした。
社寺仏閣などの重要文化財を撮った写真からは、建物の雰囲気や、そこに漂う空気感や厳かさまでも、写真におさめられていて、歴史を記録に残す建築写真家の社会性や重要性もあらためて感じさせられました。
スライドレクチャー後の夕食会では、小川さんを交えて、かつての仲間たちとの昔話も楽しく、このような会を開いてくださった横内先生をはじめ、準備してくださった所員の皆さんに、感謝いたします。
ありがとうございました。
「彼女の小さな家」の建て主さんより、夏のお庭の写真が届きました。
昨年はあまり咲かなかった紫陽花が、今年はたくさん花を咲かせて、雨の日に眺めていること。
ジューンベリーも今年はたくさん実がなり、摘んで食べたら美味しかったこと。一方で、ブルーベリーは少ししか実らなかったこと。
芝生は調子が悪い部分があって、ブチ模様になってしまっていること。
うまくいったことも、うまくいかなかったこともあるけれど、それも変化として、庭のある暮らしを楽しんでくださっているのが伝わってきて、嬉しくなりました。
庭のある暮らしは、少しハードルが高く感じる部分もあるかと思いますが、建て主さんをみていると、何物にも代えがたいものが、そこにはあるように思えます。
素敵な写真をありがとうございました。
台風が近づくなか、天気の神さまも味方してくれたような晴天の下、『ヴォールトのあるコートハウス (仮) 』の地鎮祭が行われました。
地鎮祭には、建て主ご夫妻とおばあさまをはじめ、施工いただく千福建設さんや職人さんたちにもご参列いただき、鳥の鳴き声や蝶々が飛び交う素敵な地鎮祭となりました。
記念撮影での建て主のあふれる笑顔が印象的で、私たちも幸せな気持ちになりました。
建物が解体された敷地には、今までは見ることのできなかった景色が広がっていて、この土地のもつ大きな力と可能性をあらためて感じました。
私たちが想像していた以上のいい家になると、今からワクワクしています。
京都三大火災の一つ、「禁門の変」の激戦地、蛤御門を紹介します。
京都御苑の西に建つ蛤御門は、他の社寺仏閣、庭、仏像などとは違う戦乱の遺構です。
この門には、当時の戦場の激しさを無数の鉄砲の痕により、現代に伝えています。市内中心部で勃発し、鉄砲が飛び交い、京都市内が戦場と化しました。市中はたちまち猛火に包まれ、民家や社寺などを焼き尽くす大惨事となります。長州藩邸や堺町御門から出た火が、手の施しようのなく燃え広がるありさまを京都の人たちは、「どんどん焼け」と称しました。
被害は甚大で、北は一条通り、南は七条通り、東は寺町、西は東堀川、現在の中京区と下京区の殆どの地域に及びました。800か町、2万7000世帯、社寺は、東本願寺、本能寺、六角堂が焼失してしまいます。
池田屋事件の後の禁門の変ですが、京都から追放されていた長州藩は、朝廷へ名誉回復の嘆願に御所に押し入ろうとしますが、幕府側は、3200人の兵で侵入を防ぎ戦闘となります。長州藩は、久坂玄随や約400人の藩士を失い圧倒的な兵力の差で破れます。その後、朝敵とみなされ、第一次長州征伐も受け、窮地に陥ります。しかしこの後、幕府側で戦った薩長藩と同盟が結ばれ、尊王攘夷派は勢力拡大し、歴史は大政奉還へと向かいます。
この戦いで25歳の若さで自害をした指揮官の久坂玄随は、当初、挙兵に慎重の立場だったと言われています。京都市内に甚大な被害をもたらし、後に深い遺恨を残すことになるこの戦いは避けられなかったのかと、銃痕に思いを寄せました。
蛤御門は、江戸時代の城郭にみられる高麗門とよばれる形式の門です。江戸時代の地図を見ると、当時は、今の位置から東に30mの位置に南を向いて建っていました。堅いケヤキを用いて作られていますが、銃痕が深く刻まれていることに驚かされます。また、無数に刻まれた銃痕は人の背丈までしか確認でず、背筋が寒くなりました。
京都御苑の中にある、拾翠亭(しゅうすいてい)に行ってきました。
江戸時代後期の建物で、公家の九条家の別邸となります。
貴族の茶室は、ほどんど残っていませんので、貴重な建物となります。
拾翠亭は、主に茶会や歌会等の社交の場として利用していたようで、建物は、数寄屋風の書院造り、東山を借景に池を設けています。
公家らしく、船もあり月を楽しんだようで優雅さを感じました。
私が訪れた時間は正午、蔀戸(しとみど)から入り込む間接的な明かりが大変心地よい室内空間を作っていることに驚きました。
茶室は広間と小間がありますが、二間とも池を向いています。
二階の広間も池を上から望め、展望台のようで爽快です。
広縁もゆったりとして心地よい雰囲気でした。
私の感想ですが、建物の緊張感や厳格さは、あまり感じられなく、少し砕けたプライベートな社交の場であったことが感じられました。
正座でなく胡坐で居られる感じ、との表現なら伝わるでしょうか。
お酒を飲みながらお月見したら最高でしょうね。
雅な貴族の生活を垣間見れる珍しい建物です。
特に住宅建築好きの方にお薦めです。
みんなの憩いの場「鴨川デルタ」を紹介します。
名前の由来は、鴨川と高野川の合流地点の三角地帯をギリシャ文字に似ていることから「鴨川デルタ」と呼ばれています。
古くから相撲や能などの催事も行われていたようです。
現代では、小さな子供からご高齢まで楽しめる憩いの場です。
花見をしに来ている家族、恋人と過ごす人、楽器を練習する人、本を読んでいる人、ランニングをしている人、魚をとる子供、みんな好きな時間を楽しんでいます。
桜舞う小春日和、沢山の笑い声と川音が途切れることなく響いていました。
京都は、素敵な喫茶店も多くありますが、川でのいっぷくもお薦めです。
京都で一番古い建物は、どれですか?との質問に答えられる人は少ないように思います。
答は醍醐寺の五重塔となります。平安時代中期建立の京都府最古の建築物です。京都は、「応仁の乱」や江戸時代の大火で多く建物が失われました。醍醐寺も五重塔以外を「応仁の乱」で失い荒廃します。また、塔は建物自体の高さもあり、頂部に「相輪」と呼ばれる大きな装飾が金属製であることから、雷を誘引しやすく、また盆地である京都は、雨雲が留まる性質であるため、多くの塔が落雷で失われています。京都駅から見える「東寺」の五重塔は、4度の落雷にあっていますので、醍醐寺の塔は「奇跡の塔」ともいえます。
私は、日本建築の造形的な美しさは、塔だと考えています。
中国や朝鮮半島の塔とは、プロポーションも屋根の軒の出の深さも違います。
日本の気候は、雨が多いため、大きく軒を出す必要があり、屋根を支える組み物などの技術が発展し、その機能が建築の芸術性に繋がり、日本の風土と建築の関係性が美しく表されています。
「応仁の乱」で荒廃した醍醐寺は、豊臣秀吉と秀頼、二代にわたり支援が行われ復興されました。また、秀吉の亡くなる5カ月前「醍醐の花見」を行ったとエピソードが残っています。
参加者は、豊臣家の一族と徳川家康などの家臣総勢約1300人と大規模な花見で、近畿から700本の桜を集めて一週間で植えたと言われています。
私は、五重塔を観ながら当時の豊臣秀吉と同じ景色を見ているのだろうか、と古に思いを馳せました。
春の醍醐寺は、観光客の賑わいと、うららかな雰囲気で和やかでした。
桜とともに夕日に照らされた五重塔は、息をのむほどに美しく、心を奪われました。
京都府最古の建築物「奇跡の塔」を観に、一度お参りにいってみてください。夕暮れ時がお薦めです。
巡礼のはじめは、京都の中心といわれ、多くの逸話が残る六角堂です。
正式名は、「紫雲山頂法寺」ですが、お堂の形が六角形であることから、六角堂と呼ばれています。
六角堂の歴史は古く、平安京に都が遷る200年前の587年「飛鳥時代」まで遡ります。建立は法隆寺を建てる20年前、13歳の聖徳太子です。
京都全域が破壊的な被害を受け荒廃した「応仁の乱」でも六角堂は火災から免れ、下京の自治の拠点として機能しました。飢饉には炊き出しを行い、復興へと導きました。その後18回もの火災に見舞われますが、その都度再建され、現在建っている六角堂は明治時代に再建された建物です。
生け花発祥の地としても有名な六角堂ですが、仏前に花をたむける習慣は、聖徳太子が小野妹子に命じたことから始まります。代々住職が務め、室町時代に池坊専慶、専応と立て続けに名手が現れ、生け花の文化が始まり、現在に至ります。また池坊家は、小野妹子の子孫だといわれています。
また、逸話も多く残っています。
親鸞聖人が比叡山延暦寺から六角堂まで百日参籠を行い、95日目に観音菩薩から「法然のもとへ行け」とお告げを得て、浄土真宗を開くきっかけとなります。
建立の話も大変興味深い話が残っています。元々池があったこの地に聖徳太子が訪れた際、念持仏が、この地から動かなくなり「この地にとどまり、人々を救いたい」と太子に告げたため、六角形のお堂を建て安置したと伝わります。
都が京都に遷った際には、長安にならい方位に合わせて道を碁盤の目に設計されましたが、不運なことに六角堂の真上に新しい道が通ることになってしまいます。設計者の役人が取り壊しを命じに来た際、六角堂の上空に黒い雲が立ち込め、たちまち六角堂を包み込み、北に移動した。との逸話が残されています。現在も本来お堂と同じ敷地にある鐘楼は、六角道りを挟んで南にありますので、逸話の面影がうかがえます。
現在、祇園祭の「くじ取り式」は市役所で行われていますが、江戸時代までは、六角堂で行われていました。
京都の町民の歴史「六角堂」へ、ぜひ、お参りに行かれてみてください。
近くには、飲食店などに改装されている文化財登録された美しい町屋もあり、楽しめます。
私は、建築物と歴史が大好きです。
京都の建築や文化や歴史、仏像や日本芸術まで興味が尽きません。
暇があれば古い建築物を見て感銘を受け、歴史的な背景まで、関係資料を図書館で調べることが日常です。
このブログより建築の専門家としての角度から、京都の魅力を紹介しようと思います。
建築分野の社寺仏閣からお祭りなどの行事、番外編として、地元の定食屋さんから喫茶店、団子屋さんまで、楽しんで紹介したいと思います。
明日香村(ボールトのあるコートハウス)のお客様より、
来月の既存建物の解体に先立ち、「お別れを告げるようにモクレンの花が満開になりました。」と写真を送ってくださいました。
「寂しく思いますが、新居を楽しみにしたいと思います。」との言葉に設計を任された私は、感慨深く胸にとめました。
家の建て替えは、別れがあります。
新しい家は、昔の面影を残した造りとして整え、住み繋いだご先祖に敬意を込めて設計をしました。
来月いよいよ始まります。
今日は、冬ごもりをしていた虫たちが動き始める「啓蟄(けいちつ)」。
私たち「吉武聖建築事務所」も、3月より移転することとなりました。
移転先は、私の好きな「鴨長明」ゆかりの下鴨神社に面しており、事務所の窓からは「糺の森」が見えます。
本日は、引越しの片付けも早々に、ご近所様への挨拶として、「下鴨神社」「河合神社」「方丈庵」に行ってきました。
糺の森に流れる瀬見小川を見ると、鴨長明の和歌「石川や瀬見の小河の清ければ月もながれを尋ねてぞすむ」が思い浮かびます。平安時代に生きた鴨長明と、800年の時を経て、現代に生きる私も同じ小川の清らかさに心を奪われ、同じ感情を抱き、つながっているように感じます。
日に日に春の色が濃くなる景色を見ながら、これからどんな出会いやお仕事に巡り合えるか、今から楽しみです。
今後とも「吉武聖建築設計事務所」をよろしくお願いいたします。
修業時代の事務所の竣工内覧会が、卒業生のほか、工務店さんや業者さん、職人さんも出席されて、賑やかな雰囲気のもと、執り行われました。
気がつけば、私も卒業して、9年の歳月が流れました。
見かける顔ぶれは、修業時代にお世話になった方たちばかりで、懐かしい昔話に花が咲きました。
卒業した同僚たちも変わらぬ笑顔で、みんな子どもが出来たり、大きくなっていたり、驚くことばかりで、新しい世代のスタッフも増え、時間の流れを感じます。
内覧会では、新事務所の建築も楽しく拝見しましたが、新事務所が出来たことで、人が集まり、楽しい時間を過ごせたのが嬉しかったです。
あらためて、人を結びつける建築の不思議な力を感じます。
横内先生をはじめ、スタッフの皆さんの心遣いに感謝いたします。
素敵な会をありがとうございました。
新事務所の看板
引渡しに間に合わなかったペンダントライトが納品されたとのことで、「彼女の小さな家」に伺ってきました。
ペンダントライトが吊り下げられると、室内の雰囲気はより柔らかく、優しい雰囲気になりました。
ソファコーナーや書斎にはお気に入りの絵が飾られ、建て主がインテリアを楽しんでくれているのが伝わってきました。
庭の植物たちも室内に好影響をもたらし、緑に包まれた豊かな住環境を作ってくれています。
彼女にあった素敵な家ができあがり、仕事の充実感と共に、
「やっぱり、ものづくりは楽しい!」とあらためて感じました。
全ての工事が終わり、施工を担当いただいた竹内工務店さんや職人の皆さまにあらためて感謝いたします。ありがとうございました。
聖徳太子ゆかりの地「法隆寺」に行ってきました。
法隆寺は607年に建立された飛鳥時代の建物で、現存する世界最古の木造建築物です。1400年前の建物ですが、中国でも8世紀後半以降のものしか残っていないので、法隆寺の歴史的な価値がわかります。
建立当初は、大講堂や鐘楼、経蔵も回廊の外にありましたが、後に、回廊をのばして、今の形に作り変えています。棟木を支える「束」があるのが、後に作られた平安時代の回廊です。
また、金堂は軒の出が大きく、それが伸びやかで力強い建築の良さを生み出していますが、実は上層四隅に補強が必要なくらいに、構造的に無理をしながらデザインされています。龍の柱の彫刻は、飛鳥時代の建築的な力強さとミスマッチにも見えますが、これも江戸時代の寺工の修理技術の賜物です。
建築が残ることは、必ず修理し存続できる技術者が必要となり、工人の技術も時代と共に受け継がれてきました。これも日本の建築文化の特徴です。
日本の建築と技術継承の文化は、世界に誇る素晴らしい文化だと思います。
春の「法隆寺」は、偶然出会えた修学旅行生と南門を通る春風が爽やかで、心地よかったです。
京都・今出川にある「四君子苑」と「北村美術館」の春の特別公開に行ってきました。
今年は桜の開花が遅れたおかげで、庭の枝垂れ桜の花が残っており、生命力に満ち溢れていました。北村美術館のホールから見たお庭も美しかったです。
「四君子苑」は、実業家の北村謹次郎さんの旧邸で、昭和19年に数寄屋の名工 北村捨次郎さんが手掛けたことから始まります。戦後、進駐軍に母屋を接収・改造されたため、昭和38年に母屋の建て替えを建築家の吉田五十八さんと作庭家 の佐野越守さんが作り変えます。
そして、昭和52年に隣接する「北村美術館」を建築家の冨家宏泰さんが設計し、今の姿になっています。
時代に翻弄されながらも、名工と建築家が携わった貴重な建物と庭が楽しめる、私のお勧めの場所です。
「北村美術館」は高さを抑えながらエントランスを二階に持ち上げ、ホールから「四君子苑」の露地を見下ろすことができ、寄り添うように建っています。
プランニングや全体の構成としても素晴らしいのですが、内部の展示室や階段の手摺や色彩デザインも一貫した美意識のもと丁寧に作られています。
昭和の数寄屋の傑作として「四君子苑」は有名ですが、隣接する「北村美術館」も素晴らしい建物だと思います。
季節外れの寒波が終息をみせた頃、「高床の家」の建築主から写真を送っていただきました。
室内から見る雪原の春日山城の風景は、息をのむほど美しく、雪が積もった家の姿は、建て主の日常を力強く守っているようです。
この家は雪害に対応した家ですが、家としての役目をきちんと果たしていることが、写真からも伝わってきます。
情熱を注ぎ、想いを込めて一生懸命に家を設計すると、出来上がった家が自分の分身のように感じます。
引き渡しの時は、娘を嫁に出す父親の想いです。
春には、桜が室内をピンク色に染めます。
ホームページの「WORKS」に、新しく「ヴォールトのあるコートハウス」(仮) を追加しました。
ご夫婦2人で住まわれるガレージ棟のついた平屋建てのコートハウスです。
また、順次HPでご紹介いたしますので、よろしければご覧ください。
「地上と地下に庭のある家」(仮題) が、引渡しを迎えました。
2台の薪ストーブにも初めて火入れが行われ、家の息吹きを感じました。
この家は、隣家迫る城下町に、「3.6mの敷地の高低差」「撤去不可能な擁壁」、そして、火災に対して高い性能を求められる「防火地域」と、とても難易度の高いプロジェクトでした。
前例のない設計に、終始、挑戦者のような気持ちで取り組んできましたが、結果的に設計者として大きく成長させていただいたプロジェクトになりました。
このような貴重なお仕事をいただいた建築主のご家族には、あらためて心より感謝申し上げます。
帰り際、ご長男が薪ストーブ前の造作ソファに座った時、「吉武先生!ソファーまで完璧やん!」と驚きの声を上げ、そこにいた皆が一斉に笑い、その笑い声が家の隅々まで響きました。
私にとって最高のねぎらいとなりました。
師走の慌ただしい中での引渡しでしたが、建築主ご家族にも喜んでいただけたことが、何より嬉しく思っています。
家の引渡しは終わりましたが、外構工事、造園工事とまだ工事は続きます。
また、彼が喜んでくれたら嬉しいです。
「彼女の小さな家」の引渡しが行われました。
置き家具も入り、建築主の彼女がイージーチェアに座った時の笑顔が印象的で、少し設計者としての肩の荷がおりたような気持ちになりました。
冬至から少し時間が経っていましたが、室内の奥深くまで日が差し込み、ポカポカした暖かで気持ちの良い室内でした。
建築主の彼女にあった可愛らしい家ができました。
造園工事や外構工事が終わりましたら、撮影を行い、あらためてHPでご紹介いたしますので、ご覧いただけたら嬉しく思います。
「彼女の小さな家」の現場監理に行ってきました。
リビングと趣味室を区切る壁のRの養生が取れ、雰囲気が分かりました。
趣味室の壁のRは、建築主の彼女が気に入って見せてくれた外国のインテリアの写真を元に設計をしています。
この家は、和洋折衷のインテリアですが、この空間に合うように、Rの壁の大きさや高さを丁寧に整え、彼女に合うように女性的な優しさや、書斎の籠り具合や安堵感など、空間の雰囲気を作るために、試行錯誤をしながら設計をしました。
Rの枠ですが、秋田の伝統的工芸の木のお弁当などで使われる技法の「曲げわっぱ」と同じ作り方で作っています。
薄い木の板を水に一晩漬けて、板を曲げて作ります。
器用な大工さんで、むくりの屋根同様、綺麗に作ってくれました。
「彼女の小さな家」の現場監理に行ってきました。
大工さんの工事もひと段落となり、少し静かな現場でした。
リビング横の小さな書斎は、低い天井やRの入り口で、ほのかに暗く、詩的な雰囲気を持つ、心地のよい空間になっていました。
「彼女の小さな家」の現場監理に行ってきました。
晴れ渡る空の下、流れる汗をぬぐいながら、職人さんが丁寧に瓦を葺いてくれました。
近年の地震対策として、全ての瓦をビスと釘で止めつけます。
また、今回はむくりのついた屋根のため、瓦を削りながら、むくりに擦り合わせて、一枚一枚取り付けます。
大工さんは、破風と呼ばれる屋根の側面を守る板に、屋根を軽やかに見せる加工を行い、作ってくれました。
「温故創新」どのような佇まいになるか楽しみです。
ホームページの「MODEL AND SKETCH」に、新しく木造平屋建て2階建ての家の模型を追加しました。
こちらは「高床の家」の初期案の模型で、ゆったとした農村の風景に沿った水平ラインの美しい佇まいになっていますので、よろしければ、ご覧ください。
ホームページの「MODEL AND SKETCH」に、新しく2階建てのコートハウスの模型を追加しました。
こちらは「囲い庭の家」の初期案の模型で、平屋建てのコートハウスとは、また違った雰囲気となっておりますので、よろしければ、ご覧ください。
「地上と地下に庭のある家」のソファ サンプルを見に、いつもお世話になっている興石さんへ行ってきました。
ソファの座り心地を事前に確認するため、作っていただいたサンプルをもとに、クッションの厚みや硬さのほか、高さや奥行きなどを実際に座っていただき、確認していきます。
クッションの張地も、カーペットや他のインテリアとの調和を考えて、張地サンプルを見ながら、選んでいきます。
世界にひとつだけのソファが、どんなソファに仕上がるのか、今から楽しみです。
打ち合わせ後に、現場によると、ブラックチェリーの床材が張られていました。大工さんの丁寧な仕事ぶりが窺える美しい仕上がりに、建て主ご家族も大変喜んでいらっしゃいました。
工事はこの後、室内の建具枠に移ります。
ここから少しずつ、室内の雰囲気が出来上がっていきます。
「地上と地下に庭のある家」の煙突がたち、薪ストーブが搬入されたとの報告を受け、胸を膨らませて、現場に行ってきました。
この家では、地上と地下にそれぞれ薪ストーブを計画していますので、煙突が二本立ちます。高さの違う二本の煙突が立ち並ぶ姿は、親子のようで、どこか愛らしい雰囲気があります。
現場は、外壁の左官工事が進み、雨仕舞を重点的に監理してきました。
近年の豪雨を想定して、注意深く、確認していきます。
大工さんの強化プラスターボード二重張りの闘いは、未だ続いており、「木造1時間耐火」の防火被覆の作業量の大きさに、防火地域での計画に対する今後の課題を痛感しています。
汗を拭いながら、根気よく一枚一枚、丁寧に張る大工さんに敬意を表します。
やはり大工さんや職人さんは、凄いです。
屋根のむくりの打ち合わせに現場に行ってきました。
この家の急勾配の屋根には、「むくり」という、数寄屋づくりでみられる屋根を少し膨らませて、軒先の雨水の切れを良くする手法ですが、屋根の印象としても、柔らかさを与え、軽やかな佇まいとなります。
むくり屋根の傑作は、「桂離宮」ですが、今回の家は、前後の屋根の勾配が違い、さらに正面は45度の急勾配の「切妻造」となる特殊な屋根形状となっています。この特殊な屋根に近い作品として、45度の急勾配で「むくり」を付けている建物に、高須賀晋さんが設計した「龍雲院白山道場」があります。この二つの建物を参考に設計をしました。
今回の「むくり」の高さは、大工さんの計らいで実際に現場で垂木を曲げて決めることになり、垂木の下に楔を打ち、少しずつ高さを変えて、その都度、屋根の雰囲気を確認します。
悩みに悩んで、決断をしました。
どのような屋根になるか、楽しみです。
「地上と地下に庭のある家」のカウンター材や手摺などの造作材選びに、京北山間の竹内工務店さんの倉庫に行ってきました。
竹内さんのお取り計らいで、師匠である横内敏人先生のプロジェクトの材料選定とご一緒させていただきました。
私もメジャーを片手に、先生の材料選定にもお手伝いさせていただき、久しぶりに修業時代を思い出しました。
選定後、私の図面を先生に見ていただきました。
図面を見てもらうのは10年ぶりでしたので、緊張しましたが、とても懐かしく、楽しい時間となりました。
帰り際には、先生から「完成したら見せてね。」と笑顔で言われ、約束して別れました。
「地上と地下に庭のある家」の工事は、造作材の加工に入ります。
材料の選定をする、横内先生と竹内社長
京都の東山にある「河井寛次郎 記念館」に行ってきました。
陶芸家である河井寛次郎自身が設計したこの建物は、実際に家族とともに暮らした自宅と工房を、河井さんのご家族やご子孫が、記念館として残されたものです。
記念館には、実際に使われていた登り窯から、調度品までが保存されており、当時の創作のようすや暮らしぶりが、窺えます。
また、河井さんは、陶芸のほか、彫刻や書などでも多くの作品を残されていますが、家具や照明器具などのデザインも手掛けています。いずれもどこか縄文的な親和性を帯びていて、優しく語りかけるようです。
建物は「町屋造り」となりますが、敷地の中央に広く明るい中庭があり、中庭を中心に住宅の各居室や工房や窯の位置が、部屋の用途と方位に合わせて整然と美しく配置されています。
二階建ての住居棟は、居間の吹き抜けを中心に部屋が配置され、寝室は開放的で中庭を見降ろせる気持ちの良い部屋となっていました。
また、洗面所など至る所には小さな収納が設けられ、暮らしに寄り添った家だと感じました。
銘木や高級な材料はあまり用いず、古材や職人の手仕事の刃物の跡をあえてデザインとして残すなど、河井さんの物づくり哲学や人間らしい優しさ、温もりを感じます。
「家は住まい手を表す」という言葉がありますが、この家は、まさに河井さんそのもののように感じました。
『彼女の小さな家』の配筋検査に行ってきました。
鉄筋の本数・太さ・定着などを、監督さんや職人さんと一緒に、一つ一つ丁寧に1時間半ほどかけて、確認と調整を行いました。
次の工程は、一回目のコンクリートの打設を行い、家屋内側の型枠を建て、土台や柱を基礎に固定する金物の設置工事に移ります。
『地上と地下に庭のある家』の現場監理に行ってきました。
現場は、外壁と軒裏の防火被覆材の「耐火ボード」が張り終わり、下地工事へと移っていました。
今回の建物は、木造での「一時間耐火建築物」となります。
そのため、柱や梁などの構造材は、すべて「耐火ボード」で囲います。
外周部に使った「耐火ボード」は、大きさ60㎝×182㎝、厚み2.1㎝、一枚の重さは18キロ、それを二重に重ね張りし、総枚数は730枚にのぼりました。
この重労働を大工さん二人で張り終えたとのことで、驚くばかりです。
本当にお疲れさまでした。
リビングのスキップフロアの墨出しの様子
2階の子供室の様子
2階の子供室には窓が取り付けられました
大寒、フキの花咲くころ、『彼女の小さな家』の地鎮祭が、しめやかにとり行われました。
建て主をはじめ、今回施工いただく竹内工務店さんとともに、その土地の神様に、工事中の安全と、完成した家の繁栄をお祈りします。
神主さんが打つ柏手は、まるで雅楽楽器のように、冬空に美しく響きわたり、曇り空を取り払っているかのようでした。
祭事が終わるころには、曇り空も晴れわたり、暖かな光が差し込む、幸先のよいスタートとなりました。
『高床の家』の建て主さんより、「水面が見えなくなるほど、稲が育ちました」と写真を送っていただきました。
青々と育った稲穂に、生命力を感じます。
季節と共に移り替わる水田の風景を楽しんでいらっしゃることが、何より嬉しいです。
実りの秋には、どのような景色に出会えるか、今から楽しみです。
田植え前の田んぼに水が張られた様子
田植え直後の様子
稲が成長して青一色となった青田の様子
6月19日発売の「住宅建築」500号 にて、『高床の家』が紹介されました。
今回紹介された作品は、「雪害」に対応した住まいです。
近年、10年間で800人を超える方が、「雪害」により命を落とされており、けが人を含むと、さらに多くの方が被害に遭われています。
『高床の家』では、建築的な手法や工夫を凝らすことで、「雪下ろし、雪かき、雪囲い」といった雪国での重労働を取り除き、家を傷める「雪庇、結露」などの対策も試みています。
また、近年多くの方が、台風や集中豪雨、土砂災害などの「水害」に遭われていますが、『高床の家』の1階部分を木造から鉄筋コンクリート造に変えることで、河川沿いや高潮のおそれのある沿岸部の家にも、適応できると思っています。
家づくりの参考に、少しでもお役にたてれば、幸いです。
高床式住宅に近似した佇まい。
1階のピロティ部分は駐車場、室内は玄関と倉庫のみとし、居住スペースはすべて2階に配置している。
雪が積もった時の断面イメージ
雪下ろしの基準を記載した表示板を建物に据えつけます
大阪府豊中市にある「日本民家集落博物館」に、友人と行ってきました。
北は岩手、南は奄美大島まで、12棟の民家や倉庫、門などが移築されており、自然の広い敷地の中で、ゆったりと見学することができます。
この博物館の最大の特徴は、違う地域の民家を、一度に見比べることができることです。
北国の民家と南国の民家では、大きく異なります。
民家は、周りの環境や生業にあわせて、家の姿や形が変わり、地域の文化や伝統が、家の形として現れます。
民家は、人間が生き抜くための先人の知恵の塊です。
当時は、電気もガスも水道もなく、そのころの暮らしに想いをはせると、生きることの厳しさを感じます。
先人の暮らしの過酷さと、たくましさに触れる貴重な機会になり、民家の力強い佇まいは、当時の暮らしを無言で語りかけるようです。
民家は過去のものではなく、現代の暮らしにも役立つ知恵が詰まっていると私は思います。
河内布施の長屋門(大阪府)
日向椎葉の民家(宮崎県)
信濃秋山の民家(長野県)
大和十津川の民家(奈良県)
越前敦賀の民家(福井県)
吉武聖建築設計事務所のInstagramを開設しました。
竣工写真や、事務所での日常など、
少しずつですが、ご紹介できたらと思います。
建築家 阿部 勤さんの訃報を聞いたのは、2月のことでした。
昨秋、自邸の作品集が出版されたのを思い出し、
すぐに本屋さんへと走りました。
奇しくもその本は、
阿部さんの人生を振り返り、自邸50年の軌跡をまとめた本でした。
生い立ちから、家づくりの秘話、
住まいぶりや近所の子どもたちの噂話まで書かれており、
阿部さんのお人柄が本から伝わってきます。
藤塚光政さんが撮られた写真は、
阿部さんの家の「生活の匂い」まで捕らえています。
特に、表紙の書斎の写真は、
席を外した阿部さんが、今にも飲み物を片手に戻ってきそうで、
阿部さんが写った写真では、思わず涙がこぼれました。
18年前、ご縁があり、
ご自宅で、手料理を振舞っていただいたことがありますが、
気さくで優しいお人柄で、
ご自宅の説明やプライベートな質問にも快く応えてくれました。
お気に入りのノラ・ジョーンズが、途切れることなく流れ、
終電を逃すほど、居心地が良かったことを覚えています。
この本は、阿部さんのお人柄をうつしたように
多くの図面とともに、手書きのパースやスケッチを用いて
やさしく説明されています。
また、丁寧な構成や文体などから、
編集者の皆さんの阿部さんへの愛情も感じました。
どなたでも名作の秘密に迫れる素晴らしい本ですので、
多くの方に読んでいただけたら、嬉しく思います。
ノラ・ジョーンズを聴きながら、是非。
『高床の家』の建て主さんが、
「田植えが終わりました。これから、毎日、稲の成長が楽しみです。」と
リビングから撮った写真を送ってくださいました。
日々の生活のなかで、
季節の移ろいや里山の風景を楽しみながら、
暮らしていただけているのが、何より嬉しく思います。
3月の雪解けを待って、
『高床の家』の造園工事に行ってきました。
2階リビングから桜を楽しんでいただけるよう、
目線の高さに合わせて、桜を4本植えました。
新潟県の桜の開花は4月上旬とのことですが、
どんな景色をみせてくれるのか、今から開花が楽しみです。
雪景色の『高床の家』を、
写真家の畑拓さんに撮影していただきました。
雪国の天気は変わりやすいのですが、
天候にも恵まれ、無事撮影することができました。
リビングの窓から望む里山の雪景色は、
思わず息を飲む美しさで、
春には水鏡、夏には風になびく稲の波、
実りの秋には、黄金色の稲穂の絨毯が広がり、
これから、四季折々どんな景色を見せてくれるか楽しみです。
また、お引渡しから1か月ほどでしたが、
玄関には一輪挿しが飾られ、
テラスにはアウトドアチェア、
薪ストーブの周りには、ファイヤーツールが置かれていました。
この家での生活を愉しみながら、
大切に暮らされているのが、何より嬉しかったです。
ピロティ撮影の様子
外観撮影の様子
一瞬の光を捕えようと、
じっとカメラを構える畑拓さん
書斎コーナー撮影の様子
和室撮影の様子
建物が完成したとの報告を受け、
新潟の『高床の家』に行ってきました。
家が完成すると、建築主へのお引渡しの前に、
まず、設計者による設計検査を行います。
設計検査は、建築主に安心して、
引き渡しを受けていただく為にも、
大切な検査だと考えています。
検査では、現場監督さんや職人さんと一緒に、
一つ一つ丁寧に確認を行い、
不具合がある場合には、
一緒に対策を考え、是正工事を行います。
現場監督さんや職人さんのご協力により、
とても品質の高い家ができていました。
是正工事が終わったら、いよいよ引き渡しです。
厳しい雪国の暮らしのなかで、暖かい灯がともる
凛とした冬空のもと、
地鎮祭が厳かに執り行われました。
この家は、敷地の法律的な制限が厳しく、
さらに3.6mの高低差と、解体できない擁壁もあり、
修業時代にも経験したのことない、とても難しい設計となりました。
今まで培った知識だけでは、設計が叶わず、
新たに勉強しては設計し、新たに勉強しては描き直し、
長い時間がかかってしまいました。
その間、私を信じ、設計を預けてくださった建築主ご家族と、
ようやくこの日を迎えることができ、
式典の挨拶では、これまでの想いに、自然と涙が溢れました。
この日は 冬至でしたが、
冬至はこの日を境に日照時間が延びていくことから、
陰の気が弱まり、陽の気に向かう折り返し地点と考えられていたそうです。
この考えは『一陽来復』(いちようらいふく)といわれ、
長い設計期間が終わり、工事着工を迎える門出に
ふさわしい一日になりました。
祝詞奏上:神主さんが工事を祈り、祝詞を奏上します
鍬入れの議:建築主が鍬を持ち、鍬で盛砂を掘ります。
凛とした空気に包まれながら、静かに地鎮祭が執り行われました
木工事が終盤を迎えたとのことで、
『高床の家』の品質監理に、新潟に行ってきました。
里山の季節は、前回のトンボが飛び交う小春日和とは一変して、
横なぐりの風と雨で気温は下がり、雪国の厳しい冬の訪れを感じます。
現場では、外部の足場も外され、
大工さんが押入などの棚板を加工し、木工事も終わりを迎えていました。
季節の移り変わりとともに、工事もいよいよ最終段階へと移ります。
ピロティ部分
外からリビング窓を見る
軒先をしたから見上げる
ピロティの天井も張られました
棚板を加工する大工さんの向こうには、里山の景色が広がる。
クローゼットからサンルームを見る
押入棚を作る若い大工さん
暖かな秋晴れ、『高床の家』の品質監理に、上越に行ってきました。
現場は順調に進み、外部周りの仕事へ進んでいました。
建築業界も高齢化が進んでいるといわれていますが、
現場には、20代の若い職人さんの姿が多く見受けられ、
活気のある現場でした。
電気や水道関係の配線、配管工事も中盤に差し掛かり、
工事は次の段階に移ろうとしています。
大きく張り出した屋根が、美しく、足場が取れるのが楽しみです。
水田からの外観
屋根の上から見る春日山城跡
軒裏と外壁
ピロティの設備配管
ピロティの倉庫部分
ガラス取り付けの様子
小雨が降る秋、
『高床の家』の上棟式がとり行われました。
コロナによるウッドショックやウクライナ情勢、
物価の高騰など、
度重なる未曾有の災害の影響を受け、
何度も何度も、設計の見直しや見積調整を行い、
ようやく上棟までたどり着くことができました。
上棟式での挨拶では、
建築主からこれまでの苦難を乗り越えた想いや感謝の言葉に、
思わず目頭が熱くなりました。
くしくも上棟日は、私の誕生日で、
最高のプレゼントとなりました。
建築主のご家族の皆さま、
本当におめでとうございました。
建物の全景
ピロティ部分
LDKの様子
小屋裏通気口
節のない良材の破風板
屋根の様子
『高床の家』の材料検査に、行ってきました。
こちらの建物は、もともと小学校の体育館だったそうで、
天井には、木組みのトラスが高密に配置されています。
雪国らしい重厚で、ダイナミックな建築は、まさに圧巻です。
木材の材料検査では、
樹種や使用箇所の確認、含水量などの測定を行い、
品質も併せて確認します。
材料検査の後には、基礎の金物検査も行いました。
監理が行き届いた丁寧な現場に、
職人さんも気持ちの良い方たちばかりで、
ますます完成が楽しみになりました。
稲刈りが終わり、里山の風景も秋の装いに変わり始めています。
来月はいよいよ上棟です。
上越の川住材木店さんが、
良材を揃えてくださいました
大工さんと相談しながら、
化粧柱の配置を決めます。
含水量の測定も行います。
基礎工事の様子
アンカーボルトが適切に設置されているか確認します。
基礎幅のチェックも
行います。
『高床の家』の配筋検査に行ってきました。
きれいに組まれた鉄筋は、非常に丈夫で、美しく、
丁寧な仕事が伝わってきます。
配筋検査の後は、
上棟に先立って、プレカットの打ち合わせもしてきました。
来週は、いよいよコンクリートの打設が始まり、
上棟に向けて、準備が整いつつあります。
雪国の家らしい、強靭な構造の木造住宅ができていきます。
配筋検査では、構造事務所の設計者さんと一緒に
検査していきます。
コンクリートの仕上がり高さや勾配も、
丁寧に糸を張り、念入りに打設準備をします。
配筋検査の後には、現場監督さんや大工さんなどと一緒に、
今後の工事計画について話し合いました。
玉串拝礼:建築主から順番に、設計者や施工者が玉串を捧げ、お祈りをします
不安定な天気が続いていましたが、この日は夏空の広がるいいお天気になりました
京都市内にある「狸谷山不動院」に、お礼参りに行ってきました。
山の中にある本堂の奥には洞窟があり、
もともと洞窟の岩肌部分に、不動明王像を安置したのが始まりだとか、、。
その後、その洞窟を覆うように、お堂が建てられた珍しいお寺です。
ご本尊の咤怒鬼(たぬき)不動明王は、
その名のとおり、直視するのがためらうほどの眼力で、
えもいわれぬパワーを感じます。
古くから修験道の寺院として知られているだけに、
本堂までの道はハードですが、どこか不思議な空気感のあるお寺でした。
山から迫り出すように建てられた「懸崖造り」(かけづくり)の本堂は、
木組みの上にたっています。
250段の石段の始まりには、たくさんの狸の置物が出迎えてくれる
「懸崖造り」は「舞台造り」とも呼ばれ、清水寺の舞台と同じ作りになっている。
本堂からは山の間から京都市内が一望できる
山頂まで約550m参道には、杉や桧が生い茂る